そもそも「蕎麦」とは?
「そば」という植物はタデ科の1年草です。痩せた土地や厳しい気候の土地でも育つので古くから日本にあったそうです。歴史は古く、縄文時代には既に存在し、栽培の起源は古墳時代といわれています。奈良時代以前の「類聚三代格(723年)」に栽培を奨励する太政官府が確認されており、奈良時代には一般的な食べ物になっていたようです。但し、今とは異なる食べ方で、粒のまま粥にしたり、粉を練って茹でたり(そばがき)焼いたりしていたようで、今のような麺にして食すようになったのは16世紀末頃と言われており、その頃は、「そばがき」と区別するため「そば切り」と言われていました。江戸時代中期には、江戸市中に専門の屋台が登場し、「そば切り」は広く普及したそうです。
玄蕎麦の構造
製粉の方法
石臼製粉
石臼挽きとは、昔ながらに石臼で製粉する方法です。石臼の構造は、上臼と下臼ともに、摺り合わさる面に細い溝が臼の外側に向け放射線状に刻まれていて、また、上臼と下臼の中心部には少し空洞が出来ています。この空洞は石臼の外側にいく程、だんだん狭くなっていて、上臼の穴から蕎麦の実を入れると最初にこの空洞に落ち、上臼の回転に合わせて外縁部にソバの実が移動します。ソバの実は、放射線状の溝で摺り潰され粉になり、遠心力で石臼の淵から落ちる、という仕組みです。
「抜き」が石臼の中で割れることで一番先に出てくるのが「一番粉」で、サラサラとした白い粉です。通常は「打ち粉(花粉)」として使われますが、「御膳粉」とも呼ばれるこの中心部分の粉で打った蕎麦は、「更科蕎麦」と言われます。一般的には、一番粉が出た後に、実の中身部分が挽かれ出てくるのが「二番粉」、そして最後に出てくるのが「抜き」の外側部分で風味と香りが豊かな「三番粉」です。
粉屋さんによっては、「外皮」を剥かない状態で全部を挽いて外皮の混じった黒い蕎麦粉にしたり、「外皮」と「抜き」を半々ずつ入れて挽いた粉を作ったり又、その割合を変えてお客さんの独自ブレンドを支援したり、又「抜き」だけをかなり細かい目の石臼で二回挽いて製品にしたり、と色々です。
石臼製粉は、石と石のすり合わせなので回転が遅い分、ロール式製粉より摩擦熱が低く高温にならないため、粉がしっとりしていて蕎麦の味やコク、香りを最大限に引き出すことができます。「蕎麦」の良し悪しは、この蕎麦粉の出来で決まります。昔、田舎のお婆ちゃんが打った「蕎麦」は美味かったという理由は、この石臼挽き製粉にあると思います。蕎麦粉が美味けりゃ形が不揃いでも美味い、と言われる所以です。今でも美味しいと言われる蕎麦屋さんは、石臼挽きの蕎麦粉を使用していますし、拘る人は自身で粉を挽いています。
デメリットとしては、製粉に時間が掛かること、製粉できる量が限られること、臼の摺り合わさる部分が減りやすいため定期的に石臼の目立てが必要なことが挙げられます。特に、石臼の目立て職人は激減しており、コストも時間もかかるということです。
ロール式
玄蕎麦から殻を取り除いた実を「抜き」といい、また脱穀の工程で割れた実は「割れ」と呼ばれています。この「抜き」と「割れ」をロールとロールの間に落とし込み、挽砕いて粉にするのがロール式製粉です。粉は、網目の大きさの異なる「ふるい」にかけ、粉の種類や成分が選別されます。一番ロールを通り一番ふるいを通って得られた粉を「一番粉」、一番ロールで粉にならず次のロールとふるいで粉になったものを「二番粉」、二番粉を取って残って次のロールとふるいで粉になったものを「三番粉」と呼ばれています。「四番粉」を取ることもありますが、一般には三番粉までです。
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